栗城史多(登山家)の経歴や来歴は?指再生の結果やエベレスト登山での死因は?

栗城史多

登山家の栗城史多さんがエベレスト登山の途中で亡くなったというニュースが入ってきました。

栗城史多さんといえば、両手の指9本を失ってもエベレスト登山に挑戦。今回で8回目の挑戦でした。

5月21日に登頂にトライするということでAbemaTVでも放映される予定でした。

栗城史多さんの経歴や来歴について、指再生の結果やエベレストでの死因についてまとめてみました。

Sponsored Links

栗城史多さん死去の経緯は?

日本時間の5月21日10時頃に栗城さんのブログに次のような投稿がされました。

栗城は体調が悪く、7400m地点から下山することになりました。 今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況がわかり次第、お知らせいたします。 皆様からの応援、本当にありがとうございます。

スタッフの方による投稿だと思われます。

21日にはエベレスト登頂を目指していましたが、その直前での体調不良。

この投稿を見て無事に下山されることを祈っていた方も多かったはず。
しかし、その後、栗城史多さんが死亡したのがベースキャンプ2で確認されたという情報が出てきました。

Japanese climber Nobukazu Kuriki has been found dead at Camp II on Mt Everest this morning, multiple sources at the Mt Everest base camp confirmed.

Japanese climber Nobukazu Kuriki found dead on Mt Everest

ヒマラヤタイムスによると、日本人の登山家・栗城史多さんの遺体がベースキャンプで見つかったという情報がたくさんの情報源から確認されたと書かれています。

現在は、栗城史多さんのご遺体をハイキャンプから運び出すために尽力していると書かれていますね。

栗城史多さんの姿が一時的に確認できていないだけで、実はまだ生きておられるんじゃないかなと一縷の望みを抱きましたが、、

ご遺体の空輸の準備をしているということは、栗城史多さんの死亡は確定的だと思われます。

同行したシェルパ4人も栗城史多さんの死亡を確認したそうです。

なんどもエベレスト登頂に挑戦し、今回こそはと思っていた中で本当に残念です。

栗城史多さんのご冥福を心よりお祈りします。

Sponsored Links

経歴や来歴は?

栗城史多

出典:栗城史多facebook

名前:栗城史多(くりきのぶかず)
生年月日:1982年6月9日
出身:北海道瀬棚郡今金町
生年月日:1982年6月9日
出身高校:北海道檜山北高等学校

登山家で起業家の栗城史多さん。

栗城史多さんは、年に1、2回のヒマラヤなどでの高所登山を行いながら、全国で講演活動を行なっていました。

登山家でありながら、株式会社たおの代表取締役を務め、2011年からはよしもとクリエイティブ・エージェンシーとも業務提携。

テレビなどでも取り上げられ書籍を出版したりと幅広く活動されていました。

栗城史多さんは、日本人初となる世界7大大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦を宣言しており、自信を単独登山者と呼んでいました。

栗城史多さんのこれまでの登山歴をまとめてみるとかなりの数になりました。

・2002年年末 – 中山峠から小樽市の銭函まで、1週間程度の雪山(標高1,000m前後)の年越し縦走を行った。
・2004年5月21日 – マッキンリー登頂に向けて日本から出発。初の海外旅行。
・2004年6月12日17時10分 – マッキンリー(北米最高峰 標高6,194m)登頂。
・2005年1月 – アコンカグア(南米最高峰 6,959m)登頂。
・2005年6月 – エルブルース(ヨーロッパ最高峰 5,642m)登頂。
・2005年10月 – キリマンジャロ(アフリカ最高峰 5,895m)登頂。
・2006年10月 – カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰 4,884m)登頂。
・2007年5月 – チョ・オユー(世界第6位高峰 8,201m)登頂。7,700m地点からスキー滑降した。
・2007年12月 – ビンソンマシフ(南極大陸最高峰 4,892m)登頂。
・2008年10月 – マナスル(世界第7位高峰 8,163m)に「無酸素」「単独」登頂したと主張するが、ヒマラヤン・データベース、日本山岳会の双方から登頂を認定されていない
・2009年5月 – ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂。
・2009年9月 – チョモランマ・北稜北壁メスナールート(世界最高峰 8,848m)登頂を目指したが、グレートクーロワールに達せず、体力の限界により7,950mで敗退。
・2010年5月 – アンナプルナ(世界第10位高峰 8,091m)登頂を目指したが、7700mで敗退。
・201年8月末から – 二度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが、C4サウスコル7,900mに達することができず7,750mで敗退。
・2011年5月 – シシャパンマ(世界第14位高峰 8,013m)の登頂を目指したが体調不良により敗退。南西壁から7600m地点まで
・2011年8月末から – 三度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが敗退。
・2012年5月 – シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退。
・2012年8月末から – 四度目の挑戦となるエベレスト・西稜ルートで登頂を目指したが7700mで敗退
・2014年7月24日 – ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8,047m)登頂。
・2015年8月末から -エベレストノーマルルートからの登頂を目指すがサウスコル付近で敗退[29]。
・2016年5月 – アンナプルナ、6300mで敗退。
・2016年 9月より六度目のエベレスト登山。7400mで敗退。
・2017年 – エベレストネパール側ノーマルルートの6800m付近まで登った直後に断念

これだけ多くの山に登っていて、経験も豊富な栗城史多さんですが、やはりエベレストは特別な山だったんでしょうか。

エベレスト登頂の瞬間を多くの人と共有するためにインターネット中継もしていた栗城史多さんですが、ついに見ることができずに亡くなってしまわれました。

Sponsored Links

指再生の結果は?

栗城史多さんは、凍傷によって両手の指を9本失っていました。

凍傷になるとこんなに風に真っ黒になっちゃうんですね・・・びっくりしました。

凍傷によっても指を再生させるために栗城史多さんはさまざまな指再生治療を受けました。

例えば、インドでは血管拡張剤高気圧酸素を使った治療をしたんだとか。

一体どんな治療なんでしょうか・・・

この治療法は日本でも取り入れられており、栗城史多さんは日本でも試したそうです。

それでもインドだったら良い効果が現れると信じて治療に向かったみたいですね。

ただ、治療の効果は日本と同程度だった上に感染症にもかかってしまうという事態になりました。

そのほかには魔法の粉と呼ばれる細胞が再生されるものやアメリカでの再生医療なども検討したそうです。

実際には試さなかったみたいですが、いろんな治療法があるんですね・・・

普通だったら、凍傷になったら手術で指を切断するのですが、栗城史多さんはしばらく切断しなかったため指先がミイラみたいに干からびてしまっています・・・

ほかにも薬草などの民間療法やサプリなどを試しましたが、結局は第二関節までを切断して9本の指がない状態で生活することとなりました。

いろんな再生治療を試してみたものの結果が出なかったということですね。

エベレスト登山での死因は?

栗城史多さんの死因については、エベレストベースキャンプの連絡官によると

死の決定的な原因はまだ確認されていない

とされています。

▼追記▼

先程、栗城事務所のスッフの方からの発表で死因は低体温だということです。

登山中に亡くなってしまうケースでは、低体温疲労などによるものが多いようです。

もともと心臓疾患を持っている方は心臓の心臓発作などもありますが、栗城史多さんが心臓疾患を持っているという情報は今のところありません。
ですので、栗城史多さんの死因は疲労や低体温によるものではないかなと思います。

今回のエベレスト登頂ではAbemaTVでの放送も予定されていましたし、現在の様子をツイッターなどでこまめに報告していました。

ベースキャンプ出発の際にも自身の様子を動画で紹介しています。

登山前半には、熱や咳があったようです。それを思うと、もしかしたら体調が万全ではなかったのかもしれませんね。

地上ではただの風邪だとしてもエベレストの山中での体調の変化は生死に関わると思います。

体調が万全ではなかった中でこんな結果になってしまったのかもしれません。

まだ35歳という若さだった栗城史多さん。まだまだ登頂を目指せる年齢だったのにと思うと本当に残念です。

まとめ

栗城史多(登山家)の経歴や来歴についてまとめてみました。

経験のある登山家でもエベレストで命を落としてしまうなんて残念です。

凍傷で指をなくした中でさまざまな指再生治療に取り組まれましたが、効果はなかったようですね。

結果やエベレスト登山での死因はまだ明らかにされていませんが、低体温症や疲労などが原因だったのではないかなと思われます。